【125】 米下院の「慰安婦問題」への対処                2007.03.21


  「ザ・レイプ・オブ・南京」の製作、米下院で「慰安婦問題」を可決か…などといった、
     国際社会を舞台とする 相次ぐ日本非難の動きに、日本は正しい主張を

 
 アメリカのハリウッドで、第2次大戦下の日本軍の虐殺行為を描いた映画、「ザ・レイプ・オブ・南京」の製作が進んでいるという。原作は中国系アメリカ人の反日作家アイリス・チャン女史が書いた同名の1冊であり、これを在米の中国系反日団体があと押しして、映画化に漕ぎ着けたものである。
 「日本を叩くには、アメリカに日本の非難をさせるのが最も効果的」であることを知っている連中は、第2次世界大戦中の宋美齢女史(蒋介石夫人)の先例に習うがごとく、アメリカの政界やマスコミに食い込み、日本非難の餌をまき、ロビー活動を展開している。


 また、アメリカ議会の下院では、旧日本軍のいわゆる「慰安婦」問題に関し、ロサンゼルス選出のマイク・ホンダ議員によって日本非難の決議案が提出されている。アメリカの政府も裁判所も、もう解決ずみとみなしているこの案件を提案・審議・採決しようとする動きは、今まで何回と繰り返され否決されてきているが、今回は先日のアメリカ議会選挙で民主党が過半数を占めたので可決される可能性があり、日本としても座視できない状況である。
 この問題について、先日、安倍首相が「当時、当局や軍による組織的な強制連行はなかった」と国会答弁を行ったところ、「今、日本の首相が明確な否定をすべきではない。河野談話で、日本政府は公式に謝罪しているではないか」という意見が、日本国内の政治家や評論家と称する人たちからも出ている。


 日本人の名誉が問われているこれらの問題に、明確な態度を表明しないことが正しいという主張は理解できない。
 あるテレビの番組で民主党の議員が『安倍首相の(当時、日本の当局や軍による組織的な強制連行はなかったという)発言は寝た子を起こすようなもので、日本に対する反発を招き国益を損なう』と発言していた。経済のためには人間としての尊厳を捨てろ…と言っている、卑俗な論議である。
 日本は戦後の長い間、第2時大戦下の日本軍の行動について、これを擁護したりましてや正当性を主張するような議論を封殺してきた。あらぬ中傷を受け捏造された問題、また、対日講和条約にともなう取り決めにより当事国の政府間ですでに解決済みというのが国際条約上の合意である問題すら、非難を受けるたび、日本政府はことの是非を論じることなく、繰り返して謝罪してきた。
 その結果、それらの事柄は一部の国際社会では歴史上の事実であるとの誤解すら生じることとなったし、「事実はどうであれ、日本は謝ったではないか」という、非を認めた事実が一人歩きしてきている。


 日本も、歴史問題で日本を非難する中国や韓国に対抗して、明確なイメージ戦略とそれを操作する情報戦略を持ち、中国韓国に対しても国際社会に対しても、言うべきことははっきり言うことが必要である。日本の政治家や外交官たちも、中国韓国の外交官たちが国家を背負って口を極めて日本を非難するように、アジアの平穏を乱しているのはいったい誰なのか、百万言を費やして世界に問いかけのべきである。
 だいたい、軍人に対する売春に従事した婦女は日本に限らず、世界各国で当然のように存在したのである。自国にも存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダに他ならない。また、帝国主義の時代にアジアやアフリカを植民地として支配してきた欧米列強に対して、過去を保障せよというような要求はどこにもない。戦争や植民地支配は、歴史の一コマなのであって、政治の手段として用いる問題ではないというのが、国際的な通念である。
 アメリカ軍が日本占領に上陸したとき、3万件のレイプ事件が起こったと報告されている。驚いたGHQの要請により、日本政府は各地に慰安所(正式名称は Recreation and Amusement Association)を設置、高見順の日記によれば銀座松坂屋の地下3階には「日本人立ち入り禁止」のクラブがあったという。アメリカ軍の広報官は「米軍の軍規が厳正に行われていたから、3万件で済んだのだ」と公言したとか。


 『せっかく寝ている子供を、今、この時期に起こしてどうする。他にすることは、たくさんあるだろう』という主張は、外交上の難問が生じたとき、わが国でいつも出てきた主張である。論理的な主張を苦手とする日本の政治家や論客たちは、「それが知恵ある大人の処置法である」という何の解決も示しえない…いわゆる先送りを繰り返してきた。その結果、諸外国から、どれほどつけこまれ、既成事実化され、どれほどの国益を損ねてきたことか。
 非難されて黙っていれば、それを認めたことになる。そんなことは、社会では常識だろう。そういう事実はなかったと主張することが大切なのである。
 繰り返すが、「南京事件は、これを報じた写真は全て捏造であると証明されているし、当時の人口が20万とされた南京で30万人の虐殺が行われるわけがない。日本軍の入京後、南京の人口は増えているではないか」と説明すべきだし、「慰安婦問題も、旧日本軍の駐屯した地域のいわゆる慰安所で職を得ていた方々に対しては、事情の如何にかかわらず気の毒なことであったが、そこで働く婦女子を日本の当局や軍が強制的に連行したことはない」という主張を、世界に向けて発信することが、何よりも大切なのである。
 不合理なあいまいさを残す日本への糾弾や非難に対しては、断固としてその非を衝き、論理的な反論を行えば、今まで言いたい放題を言っても何のクレームもつけずに頭を下げてきた日本に対して、中韓も「うかつなことは言えないぞ。変な言いがかりは我が身に返ってくる」と、態度を改めざるを得まい。
 反論が正当であったとしても、当面は中国韓国は反発し、中には「先に謝っておいて、今更何だ」という国もあるかもしれない。しかし、口をつむんでいたら、いつまでもこのままである。日本は、ナチスのホロコーストに匹敵する残虐行為をした民族であり…、婦女子を拉致してセックス・スレィブ(性的奴隷)にするような卑劣極まりない国なのだ…という非難は、いつまでもぬぐえずにより定着していくばかりだろう。
 難問から逃げていて道が開けることはない。主張すべきを主張しないことは、恥ずべき態度である。今までの政治が逃げ回り、避け続けてきたことに、立ち向かうことこそ、日本を構築するための必須条件であろう。


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